ナナ

6月24日午後10時55分にナナがこの世を去った。と今日実家からメールがあった。16歳の大往生。
土曜にナナの容態が悪くなり、歩くことも立ち上がることも出来ず、食べることも水を飲むこともままならくなったと両親からメールが来た。
去年、いよいよ別れが来てもおかしくないと思い、何度も何度も用事を作って実家に帰り会いに行った。
緩やかに老いを進めながら喜んでくれる感情が薄くなり、尻尾を振らなくなって、おすわりが出来なくなり、耳と目が機能しなくなり、ただウロウロ回り続けるナナを今年のGWに見て、いよいよだなぁと実感を重ねることが多くなった矢先のことだった。

日曜の朝に、「夜鳴きと吠えがずっと続いて、もう本当にダメみたい。このまま苦しんで近所に迷惑を掛けるくらいなら安楽死をさせます。」と連絡が来て、苦しむなら仕方ないけどと了承せざるを得なかった。
結果、最後に苦しみつつ家族に見守られながら旅立っていったと今日連絡を受けた。


変な話だけど、里子としてもらって来た当初から、「あぁ、こいつはきっと俺より早く逝ってしまうんだろうな」
って思いながら育ててた気がする。平均15年位だから・・・とか。だから去年は最期を看取ってあげられないかもしれないって思っての行動だったけど、それでも少し後悔は残る。


高橋よしひろ銀牙を小学生の頃から読んでいて、犬が飼いたいって思って防犯対策に・・・と親が承諾してくれて、
中学から二十歳までの5年間は面倒だとも思いつつ喜んで待ってくれる顔を見たらしっかり生涯を迎えてあげなきゃダメだと思えます。
すぐ怒るところも、生意気で二本足で背伸びするところも、内弁慶で小心者なところも、がっついて言うこと聞かないところも、素直に喜んでるところも全部家族に似てると思える。
実家に帰って一番喜んでくれるあいつが一番好きだった。

犬はわからなくても、自分に言ってくれてると思ってるらしく
「なんかキャバ嬢に似てるな」って思います。過度なお触りは怒るから、話を聞いてくれるお触りパブみたいなもの。
どこの犬よりうちの犬が可愛いのは俺を認識してくれるから、頼るしかなくて頼られてるからであって、一番大事にしてくれると信じてるから犬は可愛いんですよね。

犬を飼える環境さえ自分で整えられたとしたら、実家から引き取って自分で生涯を終えさせてやりたいとすら思っていた。
白内障が始まって、目ヤニで真っ黒にした目を見たときに、甥っ子が、祖父祖母の認知が忙しくてとかでないがしろにしてた時期があってこんな簡単なことを・・・って思って帰ってる間だけでも一人綺麗にしてあげてたんだけど。
きっと最後に看取ってあげた家族も何か感じては居ただろう。
エゴだったけど、終生のナナを見て、そんな気持ちに駆られた。

もちろん最期を俺も見届けてあげたかった。
もしかして、みんなを呼んでいて俺を呼んで鳴いてたのかと思うと後悔は募る。
きっと、暫くはどうやっても写真を見ただけできっと涙する。ずっと先まで先に逝くことを思い出して泣いてしまうかもしれない。
だけど、一生忘れない。犬が好きなことも、じゃじゃ馬な妹が居たってことも、動かなくなってた尻尾を思い出したように振ったことも、涙した時に拭って来たことも。一生ペットロスになっても飼ったことを後悔は絶対にしない。


幽霊も生まれ変わりを信じて居ないけど、もしも後悔として魂として漂ってるならずっと憑き纏ってくれて構わない。
毎日枕元に立っててくれてても構わない。そうであったら良いな位で一緒にいてくれて構わない。
光や風に成って一緒にいてくれて構わない。

いつになるか解らないけど、また会おう。
来月は白山に登る時に会いに行こう。


わかっては居たけど、気持ち悪いほど長ったらしくなってしまった。
でも、きっとこれを読んでる時にはまた涙すると思うな。

ありがとうナナちゃん。家族で居られて幸せだった。