27日からの長旅から暫く時間が経ったのでつらつらと。
カプセルホテル・スパ・車中泊と長距離の運転とかキツい事も多かったけど、すごく充実した旅だったなと改めて思ってる。
前の記事に書いた通り、この年末年始の休みで沢山の人と話して、現状の報告やら悩みやらを打ち明けられて、こんなに話が出来る人間だったのかと思い出した感じで。
ドラムの颯田さんとも話してたけど、「それは人としてとても有り難いことなんだよ」という言葉がとても身に染みた。


去年の一時期は、俗にいうSNS疲れというものがピークに達して、誰とでも簡単に連絡が取れる環境下にあることがおかしいとすら考える位に危なかったんだろう。
それは、悪い点ばかりに着目していただけのことであって、やはり必要なことはツールじゃなくて、人だと。
例えばエゴサーチなんてものも、いわば自分たちに向けた空リプライだし、「あなたがこんなこと以前に書いてたのを見ました」と実際に会う時に話のネタとして広げることができるし、今のやりとりも以前からのやりとりがあってのことだし。
話の核心も寧ろ何も言わなくなったからこそ、今まで意固地になってものがすんなり言えたりとか。
何というか、不器用でしかないけど諸々感謝しなくちゃならないと思ってます。


それから福島・宮城へ。仙台は実に4年ぶり。
やはり今の自分のキッカケとなったのはこの仙台の旅行だと思えたからこそ今回の旅だったなと改めて思うことで。
警戒区域解除となった国道6号線の一部。福島第一原子力発電所20km圏内の世界。
警戒区域解除といえども、国道6号を直進するのみの一時的な解除でしかなく、交差点に差し掛かると度々塞がるバリケードと警察官。
沿岸部でないためか、家屋の損傷こそ少なく見受けられたけれど、人が住んでる形跡もなく、ただただ静かな真っ直ぐな道が流れるばかりでした。
いまでも津波の影響と思われる部分もあって、家屋の屋根瓦に布やゴミがへばり着いているのを見るところ、津波の影響がかなり大きく沢山の人が被害を受けたのだと思い知らされました。
いろんな記事で、警戒区域外でも濃度の濃い放射能が見えない所で舞い続けているということを知った訳だけど、警戒区域直近のいわき市は普通に活気付いていて、ここに今でも暮らしている人達が当たり前のように居て、放射能なんてまるで嘘のようで。
放射能がどうであれ、あの街の人たちは全く負けていない。
でもそれこそが当たり前のことなんだ、生活を営むということなんだ、と改めて人の覚悟を痛感しました。
自分が抱いていた悩みなんてものすごく大した事がないと。自分で思ってる深刻なことは本当に浅はかだったと。

震災が起こってからというもの「自分に何か出来るか?」って思ったことがあったけれど、
これは全てに言えることで、「行動で示す」ことしか有り得ないと思う、何に対しても全てのことで。
偽善だろうと何だろうと、示した行動を自分と他人が勝手に評価すればいい、そしてそれは出来る限り継続すべきだと。
今後数十年・数百年とあの土地の被曝は癒えないかもしれないけれど、また必ず訪れなくちゃいけない。

今回の旅で色々気付かされたけど、自分以上に「何か」に執着しなくちゃならないということを強く感じた。
意識が変わったと思う。これまでの時間や目的についても様々に。
目の当たりにしてようやく思い知らされたっていうのは今回の大きな功績だと思ってます。
また必ず訪れます。縁も所縁もない土地だったとしても、思い知らされたのは他ならない事実なんだと知ったから。

と、去年までの自分に対しての重い懸念を書き出してみたものの、もう新年開けてるんですよね。
今までがずっと堅苦しく、息苦しかったものだったけれど、今年はもう一度アクティブな年にしたいです。
止まってたこともようやく動き出せると思うし、今年の目標は結構いっぱい携えて頑張ろうと思います。